2015年5月24日日曜日

三原に住む理由

私が三原に住む理由

 三原で生まれ、ほぼ三原で育ったから。
 瀬戸内の景色が好きだから。
 大好きな人達がたくさんいるから。
 娘が義務教育の間は転校しなくていいように。
 暮らしやすいから。
 経済的に引っ越しすることが現実的じゃない

じゃあ経済的な事は考えず、三原じゃない、海のみえる素敵な場所を見つけたら?

 とりあえず通ってみる。
 泊まってみる。
 土地柄を知る。
 地域の人と関わる。
 娘の反応。

私が三原を離れない理由もあるけど、仕事上いつでも自由に好きな場所へ行けることに
さっき気づいた(今すぐは無理ですが)

三原を離れるというわけではなく、自由に動いていいんだということ。
三原が好きすぎて見えなくなっていたことがあったなぁと 笑

あと、人見知りと緊張しぃが災いして行動範囲が狭まっているのもあるな。うん。

で、いろいろ頭に浮かんできたこをとりとめのなく書きながら、
なんだかんだいってもやっぱり三原が好きで、だから私は

「三原は何やってもだめよ」

とは絶対言わないんだなーと思った今日この頃。笑
逆にだめだと思ってる街に住む理由が分かんない。笑
だめだと思って暮らすっていうのはやっぱり取り巻く環境が
拠点を動かせないっていうことなのかな? 
ま、人のことはわかんないからいいや。

外に出ることをこの歳になって想像してみて思ったのは、外に出てもいいけど
飼い猫みたいに外に出しても夜には帰ってくるみたいな 笑

必ず帰ってくる場所だろうなー。 三 原











http://komatsuaika.blogspot.jp/2015/05/blog-post_24.html

2015年5月22日金曜日

macのfinderで画像を削除する時

すごいしょうもない事なんですけどね。

windowsからmacに変えて、操作の時にイラッとしたBEST3の1つ。

finderで画像を見て削除する時にdeleteキー押しても消えない、、、、。

イライラッとしながら右クリックで消してました。

別の方法あるんだろうなと思いつつ1年以上が経過(笑)

この消す作業が面倒でデータがたまってきたので、

やっと検索したら、ただ「command+delete」押すだけだった。(笑)

サクサクサクサク いらないファイル、サクサク削除!

あーーーぁ快適。 

なぜ1年以上もそのままにしていたんだ (笑)

なんか快適にデータの整理できそうなので嬉しくなってブログに投稿♪

私みたいな人、おるかもしれんけーねー。




2015年5月17日日曜日

海街diary<ウミマチダイアリー>試写会レビュー

累計280万部を突破した吉田秋生のベストセラーコミックを「そして父になる」是枝裕和監督が映画化した家族の絆の物語『海街diary』の試写会に行ってきました。正直、テレビもマンガもほとんど見ない私は、この映画のことを知りませんでした。第11回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、マンガ大賞2013を受賞している原作も知りませんでした。事前情報はほとんど無い状態で初めて触れた作品です。

両親と生き別れ、鎌倉に暮らす3姉妹が父親の死をきかっけに腹違いの妹と一緒に生活をすることになり、1年間の暮らしを通して4姉妹が「家族」となっていく姿を描いたものです。

ズバリ見た感想は、、、。
うーーーん!リアル!心がほっこりしたり、ざわざわしたり、すごく沁みたり。声をあらげて感情をむき出しにするようなシーンもあるけれど、全体を通しておだやかで静かに展開していくというイメージ。例えば、様々な想いや怒りを持って生きてきた長女が腹違いの妹に「一緒に暮らさない?」と言う駅のホームでのシーン。見る側からするとドラマチックな展開を想像して電車に飛び乗るの?と思っていると、その期待を良い意味で裏切る。大きく揺れる感情を静かにみせる、日本人の特徴がリアルに表現されていると感じました。

もうひとつ日本人らしさを象徴するシーンだと思ったのは、綾瀬はるか演じる「幸(さち)」と広瀬すず演じる「すず」が鎌倉の海に向かって叫ぶシーン。2人はそれぞれ似たような事を叫ぶのだけど、その言葉にはそれぞれにある背景が凝縮されていて、日々表には出さない、変わらずずっとそこにある過去の出来事に対しての感情をぶちまる。鎌倉の海を通して、心に留まっているわだかまりのようなものを吐き出した2人の距離がぐっと縮まる瞬間でもあった。ところどころに、大胆さや言葉で伝える文化ではなく、慎ましく感情を露にしない日本の美徳が生み出すせつなさみたいなものを感じました。

物語と平行して垣間みせるそれぞれの立場、仕事、恋愛は、結果をみせないことでみる側の想像力を掻き立て、自分自身とシンクロさせて見ている人にとってはその先を考えさせられるというか、、、。社会でみせている自分の顔と実際はそうではない素の生活や恋愛の部分、自身の矛盾、ハッピーエンドばかりではない現実、それぞれの課題のようなものをリアルな空気感で感じさせる。

出口が無いと悩んでいる人や、自分自身を客観的に見て答えを出したい人、誰かを憎んで自分を苦しめている、そんな人達にぜひ見てもらいたい映画でした。自分だけの世界になってしまっていたいろんな事柄が、世の中に同じようにあって、この映画を通して客観的に自分の心の葛藤をみることで、少しづつ変化が起きるかもしれません。

個人的には大好きな三原の街と重なる部分(海や景色、食)と、憧れる部分(古い家に暮らし、庭でとれる梅でつくる梅酒が家族を結ぶひとつのモノだったり)をほっこりしながら楽しめました。田舎から出て働いている人には地元が恋しくなるシーンがたくさんあるかもしれませんね。

また、キャスティングもきっと話題になっているのだろうなという本当に豪華な顔ぶれでした。個人的には長澤まさみ演じる「佳乃(よしの)」がなんだかとてもリアルで身近な存在に感じ、吹き出してしまいそうになるセリフや仕草も多々。どの役柄も個性的だけど近くにいそうで、リアルな演技とセリフは、「ぐっとくる」ものだったり、心の中で「おるおる!こういう人!」と言わせるものでした。大きな感動、驚きというよりも、感じることが深くて見終わった後にいろんな感情に気づいたり冷静な判断に結びつく、そんな映画でした。


第68回 カンヌ国際映画祭(2015年)コンペティション部門出品 
-家族を捨てた父が、のこしてくれた家族ー
海街diary   2015.6.13(土)全国公開
公式HP http://umimachi.gaga.ne.jp


製  作  年 2015年
製  作  国 日本
配     給 東宝、ギャガ
上映時間 126分

監督:是枝裕和
原作:吉田秋生 小学館コミック
脚本:是枝裕和
音楽:菅野よう子


ヨーグルトパックにチャレンジ(閲覧注意 笑)

ヨーグルトが冷蔵庫にたくさんになりすぎたので、
古くなりつつあるやつでパックすることに!


ま、元々美容には疎い私なのでまずはネットで検索。

ふむふむ。どうやら小麦粉を混ぜるらしい!

そのままだと塗ってもたれて落ちてしまうというもの

なるほど、確かに! で、小麦粉を探す、探す、 

引き出しあける、探す、無い、、、。

仕方ない、片栗粉でなんとかなるだろう。

はい、ここら辺で勘の良い方は私のたどる道が

だいたい想像できたかと思います。

片栗粉入れる、混ぜる、とろとろ

片栗粉追加、混ぜる、とろとろ、


お湯で片栗粉といて加えてみる、とろとろ

加熱? レンジでチンしてみる、とろとろ

加熱が足りない?チンっしてみる、、、、。

まわりが固まりはじめた!

急いでスプーンでくるくる

、、、、、。 なんか 、、、、。

今日の昼食べたニョッキみたいのできはじめた、、、。



(ーー)もういいもういい これで塗ってみる

お風呂に入って湯船につかって、顔やら首やらデコルテに

とろとろたらーーーーっとたれるヨーグルトっぽい、ニョッキっぽい

何かを塗る しばらくおいて流してみると、、、

うーん、ちょっとしっとり?肌が柔らかくなったような?

みる?あ、ビフォーの写真が無いから差がわかんない。

えぇスッピンですが?何か?お食事前の方、お食事中の方、

そして食後の方ごめんなさい(笑)




写真みて、、、、で?(笑) いやいやいやいやいや

若干調子良さげじゃない?(洗面所のライトの具合か?笑)

今回はお試しじゃし!! 次はちゃんと小麦粉でやるし!!

はちみつまぜてもいいらしいよ!

私のやり方は完全にしくじってますので、、、

正しいやり方はこちら → 重曹入れるのもありらしい!

ヨーグルトがあまっちゃった時は捨てずにパックをお試しあれー♪



2015年5月9日土曜日

日々選択・固定概念 2015今の私 ただつらつらと、、、

選択できる自由に不満を言う
決まっていると文句を言う
決められると反発する

自分で決めて責任をもつ
決まったことはトライする
決められたらその根拠を理解し、
想いを共有して事にあたる

ーーー
ひとつの仕事を長く続ける人をとても尊敬するけれど、
今までの私はまだまだいろいろやってみたい、
時代の変化の中でやりたい事にトライしていたいと考えていて、
どういう働き方が正しいという概念も無い。
青い鳥を追いかけ続けていた。

恋愛に関しては、選択というところで言うと、
親の決めた人と結婚するような時代・家柄でもなし、
何歳までに結婚したいという考えも持っていなかった。

ーーー
子供に対しては、親はこうでないといけないというのは比較的少なく、
1人の人ととして接しながら、暮らしの中で親の私が物事を選択する時に
どうしてそうしたのかの理由をなるべく伝えるようにしている。
時には重大な決断の前に相談してアドバイスしてもらうことも。

私の価値観が正しいわけではないので、それを聞いてどう感じるかで
子供は自分なりの考え方を、持つようになり、それが日々選択する際に
”自信をもった後悔の無い決断”ができるひとつの基準になるのではないかと思っている。

自分なりの決断基準や方法を世の中のルールをおかさないことを前提に、
いかに視野を広げ、選択全てに責任を持つ必要があり、その責任をおえるか
ギリギリの選択が自分を育てていくことになるという考え方を体を張って伝えている(笑)

そんな自分は全てにおいてとても自由に生きているという実感がある。

特別な事項を除いて、選ぶことは決して怖いことではなく、
「選べる喜び」と自分が「背負わせてもらうことのできる責任」があること、
その両方をもって決断を日々繰り返していれば、後悔することはほとんどない。

自分の選択や決断を自分に正直にしてきたし、すぐに結論を出したがる私は
ほとんど悩むことなくそれをしてきた。
振り返る気もなければむしろ後悔などしたことがないと自信満々(笑)

が、、、

ここ最近、日々選択に迷い、そんな曖昧な感覚でいる新たな自分を楽しく感じたり、
不安になったり、苛立ったり、情けなくなったり、でも世の中にまだこうやって
選択を深く悩み、どうすることがベストなのかその先の結果を恐れ、
うじうじする人間らしさが自分にも残っていたのかという喜びも感じている(笑)