友が死に、祖父が死に、両親が死に
関わる人が多ければ多いほど
その死に直面する数は増える
そして自分は若い頃から死に直面することが多かったように思う
だから、明日死ぬかもしれないと思い生きるようになったのかもしれない
だけど、それが良い方向につながっていることもあれば、将来を見据えるということに欠落した部分にもつながっているようにも思う
今日、父が生前使っていたポーチを捨てた。位牌に向かって捨てるけーね。と告げたが、答えは「まだ使えるのにから」そしてわたしの返しは「物は持って死ねんのんじゃけ」
やっぱりだんだん自分の死についても、これまで以上にリアルに考えはじめたのかもしれない。自分の言葉にふとそう感じた。120くらいまで生きるつもりじゃけどね(笑)
横並びの友人を見送るのはずっとずっと先であって欲しい。世界中にたくさんの人がいる中で、つい、そんな欲を持たずにいられない。
そのくらいの欲は人間として生まれたんだから持たせてください。
そんなことを考えながら、家にいる猫を目で追いながら、この子を見送るのも嫌だなと一瞬沈む。いや、元気なんだけどね(笑)
死ぬことに恐怖を感じるかは、その訪れ方によって違うのかもしれない。でも大切な誰かが死という永遠に奪われることに恐怖を感じずにはいられない。
わたしもまだ人間らしさが残っていると感じる感情のひとつ。
何かあったわけじゃないけど、ふと感じたことを文字に残す。
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