2016年6月14日火曜日

「三原すごいじゃん」ふるさと納税の話(2)ふるさと納税特需について

ふるさと納税特需?


耳慣れてしまってきたこの言葉には、私達がまだ取り組んでいない、とっても嬉しい楽しい事が詰まっている気がする。

前回、ふるさと納税の話(1)三原のふるさと納税どうなってる?にも書いた通り、数字で見る限り、近隣だけでみると「三原すごいじゃん」と思ったわけですが、近隣と比べてどうかということよりも、このふるさと納税の恩恵について考えてみました。

成功事例


様々な成功事例の中でも私が個人的に素敵だなぁと思ったのは、埼玉県深谷市の「すき焼きセット」。すでに認知されている”深谷ねぎ”は人気の返礼品で、地元農家では例年よりも売上げが伸びているそうです。これもひとつの特需と言えますが、すばらしいのは、この深谷ねぎを返礼品として登録するだけではなく、”すき焼き”の材料としての提案がされていることです。すき焼きの材料が地元で全て揃うことに目をつけ、元々はつながりのなかった生産者・事業者が連携し、新たなふるさと納税返礼品を生み出しているのです。こうして、生産者・事業者の交流が深まり、様々なコラボ返礼品が誕生していること自体がこのふるさと納税の恩恵だなぁと。ここまでの流れができれば六次産業化にも大きく寄与し、地域経済に与える影響は大きいのではないでしょうか。

返礼品を提供する事業者として参加してみては?


三原にはとっても魅力的なヒトやモノがたくさんあると私は思っています。(三原大好きですみません(笑))たくさんの方々にそんなヒトやモノを知って、体験してもらえたらいいなぁと押し付けがましくも思っています(笑)そこで、この返礼品にはたくさんの方に参加してみてほしいなぁと、これまた押し付けですが思ったのです。まぁ、思っているだけじゃただの「妄想」なので(笑)ちょっとだけそんな思いをお話ししてみました。その中でも二つ返事で「やるやる」と言ってくれた鮮魚 細井さんの返礼品登録が完了したので、そのことについてもご紹介したいと思います☆

そもそも返礼品ってどうやって選ばれているの?


※2016.7.1追記 申請方法等変更になることが決まったようです。詳しくはこちら

三原市では、三原市総務企画部地域調整課さんが担当されています。そちらへ連絡をして聞いてみたところ、その時点では事業者自らの申し出により、登録の申請を受付、可否についての回答というシンプルな流れでした。早速登録の申請をしたい旨を伝えて簡単な説明を受け、地場産品調書に必要事項を記入します。(難しいものではありませんA4の紙一枚に登録したい商品についてと事業者について簡単に記入するだけのものです)それに登録したい商品の写真データを添えて提出するだけ!

1)説明を聞く
2)地場産品調書と商品写真データを提出
3)登録の可否の連絡と最終確認書類に押印
4)登録完了!

な、なんてシンプル!
※但し先ほど地域調整課さんのウェブページを確認したところ、三原市ふるさと納税事務の一括代行業務委託のプロボーザル結果というのが掲載されており、交渉事業者が株式会社JTB西日本法人営業大阪支店に決定した(2016.6.10)となっていたので、今後は手続きが変わるかもしれません。

そして、見事登録された商品がこちら!

http://www.furusato-tax.jp/japan/prefecture/item_detail/34204/178296


創業100年の老舗”鮮魚細井秘伝のタレ”で味わう「焼き穴子」
http://www.furusato-tax.jp/japan/prefecture/item_detail/34204/178299


両方楽しめるセット
http://www.furusato-tax.jp/japan/prefecture/item_detail/34204/178337


そして、登録されて間なしで既に5件の注文が入ったそうです(^^)嬉しいですね。三原のタコやふっくら香ばしい焼きあなご、食べてもらいたいです☆

この他にも三原の銘菓や地酒、果物など、魅力的な返礼品がいっぱいです。

参加するにあたっての準備?


事業者さんの登録には、費用もかかりませんし商品のPRをすることにもつながりますので、メリットは大きいかと思います。ただ、全国発送の対応が必要となりますので、通販業務の仕組みが無い場合は、梱包資材の準備や運送会社との運賃契約、受注すれば発送業務などが発生しますので、準備するにあたっては、商品によって変わってはくると思いますが、年間でどのくらい発送をしているのかなど、参考に聞いてから準備をしたほうが良いかもしれませんね。

難しいことはお任せして・・・


過度な返礼品競争がどうとか、税収アップにつながっていないのではないかとか、いろいろな意見も目にしますが、これらについて私が何か述べたからと言って、あまり意味がないと思いますのでその辺りの難しいことは専門家の方にお任せして(笑)

あったらいいな♪三原ふるさと納税


お気楽な私はこんな妄想を・・・

その1)三原に行ってみたいと思うような体験型返礼品!


既に実施されている自治体もありますが、三原だと何?既存の観光商品や「たこつぼ漁体験」とか?うん、それも楽しそうだし分かりやすい。でも、実際体験したいコトって住んでいると当たり前になっている、暮らしの中にあったりするような気がします。

大和のレンコン農家さんでレンコン収穫体験
 ↓
レンコン料理つくる
 ↓
食べる
 ↓
田舎に泊まろう的な(笑)

とか

離島(佐木島)で柑橘もぎ体験
 ↓
柑橘ジャムづくり
 ↓
食べる
 ↓
これまた田舎に泊まろう的な

瀬戸内の恵み(海あり山あり)「獲ったどー体験」とか(笑)

ひねりがない?いやいいんですよ。別に人はひねりに魅力を感じるわけじゃないと思うのです。(笑)やるかやらないか。やらずにひねりがないと批判して終わるか、やってこんなことでも人は喜んでくれるのねって笑顔になるか。それだけなのかなと思います。

その2)高額寄付への対応


現時点で三原市は対応していないようだったので(多分)、そうだなぁ、季節に合わせた特産品を定期的に送るとかでも、もちろんいいでしょうし、例えば遊休農地のオーナーになれるとか(収穫したものを送るとか収穫体験できるとか色々な展開ができるし、、、)「鯉」のオーナーになれるとか、桜山の桜の木オーナーになれる(いつか見に来てね的な)とか、まぁ言い出したらキリが無いのでそこは頭の良い人に託す!(笑)

その3)市内での取組み


まだまだできることがたっくさんありそうよね(^^)返礼品の充実と事業者連携できるような仕組みづくり(これ簡単に言うけど簡単じゃないことも分かります)そういうことを、市内の事業者さんに分かりやすく例えば説明会とか、(既に開催されていたらごめんなさい)あるといいですよね。

参加事業者募集説明会
 ↓
返礼品種類増加
 (選ぶほうも嬉しい、事業者さんにとってはPR、売上アップが期待できる)
 ↓
定期的な説明会や勉強会などの開催
 ↓
参加者同士のつながり
 ↓
特産品を組み合わせた欲張りセットができたり♪
それが三原市内でも販売されて贈答やお土産に人気になっちゃったり♪

な妄想でごめんなさい(笑)

あとはいろいろなところで市外から来られた方に三原のふるさと納税について知ってもらったり魅力的な返礼品の紹介などもあると嬉しいですね。例えば道の駅のデジタルサイネージや観光案内するような場所での紹介ポスター掲示、と書いていていろんなアイデアはあるけど、実際他の地域ではどんな取組みをしているのかなぁとチラっと検索(笑)

・高額寄付プラン

・ふるさと納税自動販売機

いろいろな方法がありそうですね(^^)


少し話しは変わりますが、被災地の農家さんや事業者さんをふるさと納税を通して応援することもできますね。


 そろそろ夕飯の支度の時間。今日はこの辺で〜〜〜。


−−−− 関 連 情 報 −−−−−−

ふるさと納税の話(1)三原のふるさと納税どうなってる?

ふるさと納税の現状・仕組み:総務省ウェブサイト
三原市ふるさと納税ページ
ふるさとチョイス「三原市」ページ
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2016年5月21日土曜日

人に会うのはいいね。

相手がどんな人であろうと(笑)尊敬するところはする、共感でない部分はなぜ共感できないのか自分に問うて自分の信念や価値観を再確認できる。そして、共感できない相手を否定するのではなく、自分の生き方、考え方はこれだという進むべき道や、やるべきことをやるだけ。会って学びが無い人なんてこの世におらんね。ウーロン茶飲みすぎた(笑)

2016年4月22日金曜日

生きていても死んでいても

父と母が結婚して10年目にできたのが私。たいそう待ち焦がれていた存在に出会った2人は子育てを誤った。(笑)

子育てに正解も不正解もないのかもしれないけれど、一般常識をベースで判断するなら不正解という表現になるだろう。

しかし唯一、揺るぎない愛情という救いがあった。唯一ではあるが最大の子育てポイント。(笑)他はほぼ全て不正解な両親だったが、それがあったおかげで大きな過ちを犯すことなくオトナになれたのだろう。

母とは小学生の頃に離れたけれど、高校を卒業してからは会うことも多く、プチ旅行したりもした。私の結婚式には別れた両親が並んで座った。号泣したのは極道親父で、そんな父にハンカチを渡したのは母だった。

母にたいしたことは出来なかったけど、れみすけを抱かせてやれたことが最大の親孝行だったと思うし、その幸せな姿をみていたおかげで母が亡くなった時も後悔や、してやればよかったと思うことは何もなかった。

20年以上にわたり病を患い、脳梗塞で歩行が困難になり言葉もほぼ話せなかった。そんな状態でも「れみちゃん」だけは嬉しそうに言えた。

最期は癌だったが、癌がみつかったのは本当に最後の最後。言葉が話せないから発見が遅れたのか、気づいていたけど伝えようとしなかったのか、今となってはわからない。

母の最期のメッセージは、集中治療室で意識がすでになくなっていた母、私、れみの3人だけの時のこと。

まだ保育所に通っていたれみには、ばぁばの意識がなくなり、このままいなくなってしまうということがよくわからず、そんな場面でわがままを言うことに苛立った私がれみを叱った。その瞬間、母親につながっている機械からアラーム音が鳴り響いた。血圧なのか心拍数なのか?急上昇した為に異常を知らせるアラームが鳴ったのだ。

私は瞬時に母に語りかけた。「大丈夫よ、怒ってないけん、わかったけん」。
あきらかにあれは"れみちゃんを怒るな"という母の最期の訴えだった。

亡くなる前の数日間は、なかなかそばについておられず、病院には出たり入ったりの繰り返しで、母に近い人間から電話で「それでも娘か!」と激しい口調で責められたが、傷つきもしなければ悲しさも感じなかった。母は私を咎めてはいないし、私は後悔がなかったから。

冷たい人間だと思われるかもしれないが私は母の命日すら覚えていない。だけどそれは憎んでもいなければ、寂しさもない、そして自分自身が母に対してやりのこしたこともない、残ったのは幼少期に注がれた深い愛情と、おそらくは死ぬまで我が子として私を想っていたであろう母の気持ち、長い闘病生活を終え、お疲れ様と安堵した私の気持ち。それ以上でもそれ以下でもない。

母は母の人生を終え、私は私の人生を進んでいる。命日を覚えていないから、母を忘れているというわけでもなく、日々の暮らしの中で、母が私を想う気持ちはこうだったろう、離れた時の気持ちはどうだったろう、母が幼い私に厳しくした理由はこう考えたからだろう、などと生きる中で私の感覚に存在する。それが私の母。

母の日は5月8日です。