2015年2月1日日曜日

日々、戦うように生きるあなたに伝えたい二つの言葉

⚫️やめるのも勇気という言葉

自分を正当化するための言葉ではなく、その行動の意味をどう捉えるかは自分以外の人で、それを勇気ある決断だと捉えられる理解者、決断した人の考えや価値観に賛同する共鳴者はさらに近い存在、互いに慕い、敬う存在になる。

その判断や決断の繰り返しでつくられる人間関係だけあれば十分すぎる。

自分を裏切らずに判断して、決断することは自分を表現するという側面も持ち合わせていて、何度も訪れるそんな場面で、しがらみや体裁だけにとらわれることなく、常に自身の生き方・考え方を大切にすることができれば自分を押し込めずに生きていく環境が自然とできてくるのかな。

⚫️継続は力なりという言葉

先に言った”やめる勇気”と反対にあるように思えるが、この二つは同じ方向を向いているように思う。

例えばこれが個人ではなく、組織のトップであったり、複数の人と協同で何かをしようとした時、先ほどの”やめる勇気”はさらにハードルがあがる。

ある程度の周囲との調和、人との関わりで学ぶ我慢や考え方のズレに対する苛立ち、それらを経てバランスをとりながら継続し、悩みや困難を分かち合い完成させたり、結果を出していくということは1人では味わえない感動であったり、日頃忘れがちな、人への感謝の気持ちだったり、様々なことを得ることができる。それらは人生で必ず大きな意味があって、経験や自信が根を張るように自分の土台を築いていく。

もし、結果は失敗とされるプロジェクトであったとしても、中にいる人間は、前を向いていたという前提ではあるけれど、確実に知識や技術、経験値といった形でひとりひとりが成長している。

そんな中でも、どうしても自身の信念をねじまげたり、志していたこととは違ってしまい、逆の方向へ進んだり、精神を病むような出来事が起きたり、大切な人に対して犠牲をはらわなければいけない局面があったりした時に、続けるべきなのか、やめるべきなのか、自身を押し殺し、ただ時が過ぎるのを待つのか、選択をしなければならなくなった時。

それが、先に書いた やめる勇気 につながり、それを知らなければ守るべきものが守れない。誇りだったり、大切な人であったり、残したい文化だったり、思い描く夢だったり。

頭をよぎるのは、最初にあんなことを言っちゃったしとか、人を巻き込んでしまったしとか、責任があるしとか、今更言えないしとか、いろんなことが頭をかけめぐり、疲れてしまい、とても正しい判断なんてできるような状態ではなくなる。

ゴールを決めてスタートすることはあっても、やめるつもりで物事にとりかかったり、スタートさせる人はいない 。やめる時は何かの理由があってやめる。

乗り越えて継続することと、自分自身を押し殺して時間が過ぎるのを待つこととは表面的には同じ継続でも、後者の場合は失うものが大きすぎることも勘案しなくてはならないし、それらを失ってまで継続すべき事なのかをしっかりと見て、必要であるなら、やめる勇気を持つ。

何かを始めるとき"継続は力なり"の言葉の横に、この"やめる勇気"も持ち、自分自身をつぶしてしまわないように時折、進んでいる方向を確認してみる。

そうやって生きていればずっと夢を見続けながら、生きることを日々楽しみ続けることができるかもしれない。この言葉を借りれば「自分自身を生きること」それを継続することが力になるとも言える。

日々、時間が早く過ぎ去ればいいなんて生き方はしたくないし、少なくとも家族や大切な人達にはしてほしくない。押し付けかもしれないけどそう思っている。

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