2015年2月6日金曜日

「ムリ」は心が冷たくさみしく悲しくなるよ。

冗談まじりに「ムリー!」「ムリムリー!」という言葉をよく耳にする。

この言葉が本当に嫌いで、でもそんなことにいちいち目くじらを立てていたら、ヒステリックババアと皆に眉をひそめられるに違いない。そのくらい、世の中はこの言葉が蔓延している。

心を壊すマイナスの言葉を発したら、「言葉に引っ張られるよ」と昨年、大切な人に話してから、その人が自分で発したマイナスの言葉にかぶせるように「・・・なことはない」というような、うっかり口から出たマイナス発言を否定する言葉を付け加えるようになりました。これには感動しました。自分よりも年上の人だし、年下の私が言うそれを真剣に受け止めて実践してくれているなんて、それを見た時に、偉そうに言った私自身ができていないから、なんだかとてもはずかしいと思ったし、自分を省みるきっかけにもなりました。

そんなやりとりをしながら、だんだんと親しくなり、冗談を言ったり、ふざけたりすることも増えてきた中で、私の強引な誘いにふざけて「無理!」と言う返事。それまで楽しくふざけて話していたのに、突然心がさみしくて悲しい気持ちになった。当然相手は深い意味もないし、悪ノリしている私に面白く返しているだけで、よく聞くやりとり。もちろんその場は私も笑って終わる。

そんなことが数回続いた時、ついにたまらず告白する。「無理っていう言葉が嫌いなんよ、本当に嫌なんよ。じゃけぇ、言い方変えて」そんな、水を差すような発言に、相手がどう返したか、今となっては覚えていないのだけど、それからその人は「無理」を言わなくなった。ふざけて、「んーーーどうしよっかなーーーー、んーーーーそうしたいけどーーーー」と面白く返してくれる。思わず笑ってしまったけれど、表現できないくらい嬉しかったし、「無理」という言葉で自分の胸が冷たくなったり、さみしくなったり、悲しくなったりすることまで伝えはしなかったけど、その言葉が嫌だということを真剣に伝えることができたのは、はじめてかもしれない。

そう思えば、今まで、何かしようとした時、いつもこう言われてきた。「前例が無いから無理」「どうせできるわけない」「どうせ無理」「無理なことして誰が責任とるん」でも、どれも私には全くプレッシャーにもならないし、ブレーキにもならなかった。それはそう言っている人がチャレンジしたことが無い人だから。だから全く私の心には届いてこなかった。本当に私のことを心配してくれている人は、「無理じゃない?」「本当にできるの?」という言葉をかけてくれる。言葉は似ていても全然違う。

何かとっても傲慢だけれど、無理じゃないということを知ってもらいたいという、ただそれだけでこの数年何かをやってきた気がする。私があれやこれやと手を出しているように見える、それら全てに共通していることは、この「無理じゃないことを証明したい。だって、私ができるんだから。だから、誰だってできるでしょ?私よりも頭のいいあなたなら、私のような個人ではなく、素晴らしいメンバーのいる組織なら、もっと易しく、大きく結果を出せるでしょ?」そんなひとりよがりな想いを表現することが私の今までの生き方だったような気がする。

目立ちたいわけでも、稼ぎたいわけでも、すごいと言われたいわけでもない。ただそれだけ。今日、この私の性格の根本とここ10年くらいの活動について、はじめて共通している自分の信念のようなものに気づくことができた。若い頃から、人をみて、「もっとできるのになんでやらないんだろう、私より絶対にいい結果が出せる人なのに、できたらいいと思うけどできないって、どうして言うんだろう」そう思っていた。勝手に私がその人ならできると思い込んでいるだけだと怒られるかもしれないけれど、絶対にできるっていう思い込み、したほうが絶対楽しい。

随分と傲慢で押しつけの価値観だけど、それが傲慢だと分かっているから人にやれと言わずに自分でやってきた。それが私なりの押しつけないで表現するという手段。まぁ、、、もちろん、たくさんの人を巻き込んだり迷惑もかけてきたことは、、、、、、。ごめんなさい(笑)

今日そんな自分のチャレンジしてきたことに1本の串がスッと通ったことを、自分の言葉で発して相手に伝えるということの大切さを教えてくれた「無理」というのをやめてくれたその人と、私が自分自身でも理由が分からなかった原動力に気づかせてくれた植松さんの動画にありがとうと伝えたくてブログを書きました。

今日、とても大切な事に気づいたことで、次のステップに進むことができます。

大切な人へありがとう。
植松さん、ありがとうございました。




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